プロ・専門家の仕事ってやっぱり違うと感じた2016年カメラマンさん
2016年、ホームページ用の写真をプロカメラマンに依頼した。
初めてだった。
それまでは、状態がわかれば写真にこだわらなくてもいいと思っていた。
でもね、
- 一日かけて、
- 物をどかしたり、
- 置いてみたり、
- ライトを活かしたり
ストロボをいっぱい使うのは、プロとして当たり前かもしれないけど、
その光の能力をいっぱいに使うのは、やっぱりプロだと思った。
お昼を一緒に食べた時に、
その方のプロっぷりに感動した私と母はその方に質問しまくった。
写真の専門学校に入って、まず感じたのは
「数字の世界なんだな」
ということらしい。
つまり、角度とか距離とかそういうことだと思う。
デイジー整体院はとても狭いから、
- 物をどけながら撮影しなければならなかったし、
- その方もその狭い中で距離を取るべき時にはその狭い空間いっぱいを使ってらした。
仕上がった写真は、
本当に素晴らしかった。
この場合の、素晴らしいというのは
私やデイジー整体院を「盛って」撮影するという意味ではない。
そのままなんだけど、最大限の良さをだす。
ベストな写真を撮る…いや、創ってくれる。
そんな感じ。
そもそも、私がその方に写真を依頼したのは、
男性陣…メイクをしていない男性陣を綺麗に撮ってらしたからだ。
その人以上に見えるわけではなく、その人のままなのに、とても綺麗な写真だと感じたからだ。
写真が手軽に撮れるようになって、
光や水を活かして それっぽい 写真を誰でも撮影できるようになった。
でも、
ああいうプロの仕事、専門家の仕事を見るとそういう写真はあくまでも「それっぽい」写真。
🌾それが悪いという意味ではない。
そういうことじゃなくて、大切な写真は、プロにお願いすると、高額って思うかもしれないけど、しっかりしたプロの写真の価値っていうのがある。
そして、
自分もそういうプロでありたいと、あの時改めて思った。
10月に撮影してもらったので、10月はそんなことを思い出していた。
【余談】
子供の頃住んでいた場所のご近所さんのおじさんが、カメラマンさんだった。
集合写真一つにも、心意気があったので、その方に撮ってもらうととてもいい写真だと母がよく話していた。
全員に目をくばる。
それは、子供の私には最初はわからなかったけど、おじさんの予定が合わなくて、ピアノ教室の発表会の写真が別の方に依頼になった。
その時の集合写真…私が悪いんだろうけど、肩に載った髪が邪魔で払った瞬間の写真になっている。
おじさん時には、そんなのおじさんがすぐに気づいて、もう一枚になった。
今みたいにデジタルカメラじゃないから、その場ですぐに確認できないのに、そんな写真は一枚もなかった。
ちなみに、大人になってからも、おばさんを通してお付き合いが続いていた。いや、おばさんとは続いている。
おじさん、早くに亡くなってしまった。
おじさんが建てた家に遊びに行った時に、棚に最初に使ったカメラが飾ってあったことが、今でも思い出される。
とにかく、ちゃんとプロでいよう!!