症状についている名称=場所+痛(つう)…名前が決まってそれで終わり?!
今日、ちょっとここで、めんどくさいかもしれない話をします。
臀部(でんぶ・お尻)の後ろから腿にかけての症状がある方が
「(私は)これは坐骨神経痛というものですか?」
と、お尋ねになることがよくあります。
※尋ねちゃいけないわけではありません。
私は症状名を付ける立場にありませんので、言えないというのもありますが…
前にも花粉症についてで話しましたが、症状名がつくとくっついて離れないので、あまり決めたくないというのもあります。
場所+痛(つう)で名前が決まって、…それで…、それでどうするんでしょうか?
意味がないわけではないと思いますが、名前が付くと、なんかそこで結末っぽい感じになるのが気に入りません…。
名前がついて分類されたからこそ治療法があって、治療が出来ることもあるので、その場合はいいと思います。
でも、名前がついてそこで終わっている…分類までで…。
どうなりたいか?
例えば名前が〇〇とついて、「〇〇が治りたいです。」
おかしくはないけど、前提として「〇〇」な自分というのがあります。そうして話していく度に〇〇が自分にくっついていく…ことが多い感じがします。
データをとったわけではありません。体感です。
元気になりたい。
が、テーマなんじゃないかなーと思っています。
元気になって何がしたいかが決まっていると、良くなるが加速する感じもあります。
- どこそこまで歩けるようになりたいです
- 山に登りたいです(しかも登ったら降りてくることもセットです)
- バスケットボールしたいです
- バレーボールしたいです
- 競技うまくなりたいです
- 走りたいです
- 孫と遊びに行きたいです
- 旅行がしたいです
私に内容を告白してくれなくてもいいけど、何のために元気になりたいのかは心のどこかにあった方が良くなりやすいです。
ここから独り言…
施術家として若い時は、一部の良くならない方々に対して、技術的なことが関係していると思い込んでいました。
施術かとして若い時にそういう風に悩むのはマイナスばかりではなく、だからこそ、今の自分があると思います。
でも、もう1年か2年早く気付いてもよかったと思うことがあります。
これもどこかで話しましたが、「あの人は治れ・この人は治らなくていい」と思って取り組んだ事はないのに、違う結果が生まれてくることに対しての疑問を持てばよかった。
もちろん…
「もちろん…」の続きは、興味ある方がいたら、施術の時に世間話的に話します…。